【未定】 イワクラセミナー1

磐座から神社へ:イワクラの定義と狭義の磐座

イワクラセミナー1の内容

「イワクラ」という言葉は聞くけど、どの岩石がイワクラで、どの岩石がそうでないのかが分からない。そのような方がほとんどだと思います。イワクラ学を提唱する講師が、イワクラの定義から丁寧に説明します。

磐座から神社へ:イワクラの定義と狭義の磐座

セミナー1では、神が降臨する岩石である磐座の説明です。磐座と言う言葉は文献にどのように記載されているのか、磐座祭祀はどのようなものなのかを沖ノ島、三輪山、賀茂神社を例に説明します。また磐座信仰が神社神道へと変遷する様子を数多くの例を挙げて解説します。

何がイワクラで何がイワクラでないか/磐座という言葉/沖ノ島の祭祀/三輪山の祭祀/賀茂神社のみあれ神事/磐座信仰から神社神道へ/山から降りてくる神

磐座という言葉

「磐座」という言葉は、『日本書紀』、『古事記』、『大祓詞』などに記載されています。

『日本書紀』には、「天磐座」と書いて、「阿麻能以簸矩羅」つまり「あまのいわくら」と読み方が記されています。

これらの文献の中で「磐座」は、神が天上から飛び立つ場所として書かれています。

セミナーでは、「磐座」の意味を詳しく説明します。

賀茂神社の磐座祭祀

賀茂神社の最も重要な祭りは葵祭です。もともとはカモ氏の祭りでしたが、平安時代に天皇が勅使を使わす勅祭となりました。平安装束をまとった人々が斎王代を中心にして練り歩く「路頭の儀」が華やかで有名ですが、葵祭の核心は暗闇の中で行われる御阿礼神事にあります。この御阿礼神事については、あまり詳しく語られることはありません。それは、神事自体が秘儀であると同時に、現在の神社神道にとって都合が悪い事実が含まれているからなのです。

セミナーでは、賀茂神社のみあれ神事、沖ノ島の祭祀、三輪山の祭祀を例に挙げて、磐座信仰を説明します。


三輪山の磐座祭祀

三輪山の祭祀を考察するにあたり、避けては通れないのが山ノ神遺跡です。1918年に開墾作業中に遺物が出土し、当初は古墳と考えられていましたが、後に祭祀場と改められました。この遺跡の保護管理状態はすこぶる悪く、出土品の一部が残っただけでした。肝心の岩石も動かされてしまい。現在は遺跡の上に目印として別の岩石が置かれています。先日、訪れると写真撮影禁止になってしまっていました。この写真は20年前のものです。三輪山では、4世紀後半から6世紀にわたり、岩石を祭祀場とする自然崇拝が行われていましたが、大物主神の人格が確立した後は、農耕と食事に関係する供物に変化したと考えられます。

また、三輪山には数多くの磐座が点在していますが、中には少し前まで祀られていなかった岩石も磐座と案内されてしまっています。このあたりも詳しく説明させていただきます。

磐座と神社の変遷

神社の元を調査すると山の中の磐座にたどり着くことがあります。これは、磐座信仰が神社へと変わっていったことをあらわしています。古代の日本では、山の上や中腹にある岩石つまり磐座の前で祭祀が行なわれていました。これを山宮といいます。時代が下ると、生活の場が山から森に移り、里に神を迎える社が建てられます。これを里宮といいます。さらに時代が下ると、人々は山里から平地に生活の場を移し、神社が建てられます。これを田宮といいます。

この頃には、磐座は忘れられ祭祀の本質は変貌していったのです。

 

セミナーでは、磐座信仰から神社神道へ変遷していく様子を数多くの事例を挙げて説明します。



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現在、セミナー1の開催予定はありません。神戸と奈良で企画が進行中です。



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